BECHSTEINの調律をする村上氏「たけしの誰でもピカソ」収録にて
私は、1996年頃にフジ子さんの親戚の方よりご紹介されて下北沢のご自宅に、調律にお伺いしました。フジ子さんは、その当時はブリュートナーのコンサートグランドをお使いになっておられました。お母さんの代より使っておられたブリュートナーはかなり年代も古く、状態も決して良いとはいえないものでした。私としてはオーバーホールをお勧めしたのですが、色々な本やテレビなどでご紹介されているようにその当時のフジ子さんの生活は本当に大変で、とてもそれどころではありませんでした。そんな事情をフジ子さんから調律の度にお伺いして、何とか現状のままでも弾いて頂けるように出来るだけの調整はいたしました。その当時も猫を沢山飼っていらして、「猫のえさ代も大変よ」などとおっしゃっておられたことが印象に残っております。調律したあとにちょっと弾いてくださるフジ子さんの音楽はその様な動物に対する愛情と同じように、ブリュートナーの古い楽器に対しても愛情を持って弾いてくださった演奏は、私の宝物として大事に耳の底にしまっております。
その様なフジ子さんの音楽を多くの人の聴いて欲しいと思ったのは勿論私だけではなかったでしょうが、未だ現在のように有名になられる前に、開いておられた小さなコンサートに当社の社員たちに是非聴くように勧め、その感想を求めました。そのころの当社の社員たちの印象がみんな揃って、「フジ子さんの演奏は好きです」と言っておりました。しかしながら有名になってしまったフジ子さんの演奏は、当社の社員たちもなかなかチケットが手に入らず、聴くチャンスもなく残念がっております。1998年10月16日の奏楽堂でのコンサートはフジ子さんの人生にとって大きな転機となったすばらしいコンサートでした。幸いにもその時調律させて頂いた事は、私にとって誇りとしております。1999年2月11日のNHKのドキュメンタリー番組を見させて頂いたときは、それまで私も知らなかったフジ子さんの過去などを知ることが出来、感動いたしました。そして、それが転機でフジ子さんを一躍大ピアニストとして再デビュー出来たことは、私もまた当社の社員たちにとっても大きな喜びでした。その後のご活躍は我々も驚くほどで、フジ子さんがまるで雲の上の人になってしまわれたかのようでした。
最初のうちはフジ子さんからのご指名でコンサートの調律を依頼されましたが、日本の音楽ホールは未だに至るところ、調律師が専属で入っていて、外部からの調律師は入れないところが多く、調律出来ずに残念な思いをいたしました。
それでも、年に数回はチャンスをいただき調律させて頂けることは私にとっては大きな喜びであり、また直接フジ子さんの演奏を聴ける幸せを味わっております。
私は、フジ子さんの調律の際に一番心がけていることは、非常に音色を大事になさる演奏なので、フジ子さんの微妙なタッチに敏感に感じられる音色の調整と、「ラ・カンパネラ」の高音部のオクターブなどのハーモニーが出来るだけ美しく聞こえるように調律を心がけております。この曲はフジ子さん自身も大変大切になさっておられますし、その思いを少しでも損なわぬよう調律することが、その日の私の役割だと心に命じております。
フジ子さんは、調律に関して余りいつも特別に要求されることがありません。きっとどんなピアノの状態でも、ご自分の演奏でカバーしてしまわれる腕をお持ちであるとは思いますが、いつもリハーサルでフジ子さんの演奏を聴きながら、フジ子さんがなにかピアノに対して不満はないかなどと、最大の神経を張りつめ聴いております。そして私なりにちょっとしたフジ子さんの動作や顔色から、何か気になる点を探し出し、フジ子さんから指摘されなくても、調整することを自分の仕事と心得ております。フジ子さんの演奏はご自身の体調によっても変化されます。非常にコンディションの良いときは、テンポが変わります。非常にゆったりとして所々かなり大胆な間をあけて、まるで人に話をするかのように心地よい演奏をなさいます。そんな時はペダルも実に多様に使い分けてご自身でも楽しまれるように、音色を多種多様に変化させておられます。調律のことを考えなくてはいけない私でさえ、その様な演奏に引き込まれて我を忘れて楽しんでしまうことがよくあります。
最近は、私がお勧めしたベヒシュタインをコンサートで使用して頂けるチャンスも多くありますが、私はフジ子さんの特に「ラ・カンパネラ」を演奏する響きがこのピアノの特徴を一番表していて、素晴らしいと思っております。ベヒシュタインはこの曲の持つ鐘の響きを実に明快に表現し、本当のベルのような響きが伝わって参ります。フジ子さんも、カーネギーホールやヨーロッパへの演奏旅行などの海外への進出や、国内でも実に驚くべき多くのスケジュールをこなされ、そのパワーには驚くべき威力を感じますが、私はそのような多忙さでフジ子さんの健康が損なわれないことを一番祈っております。勿論今後のご活躍のなかで、私も調律させていただけるチャンスに自分の持てる最大の技術を駆使してお力になれればと願っております。私のもう一つの夢は、度々テレビにも登場するあのご自宅のブリュートナーを完璧に蘇らせて、そのピアノでご自宅でのサロンコンサートを実現させたいと思っております。あのピアノは、恐らく現存するブリュートナーとしては年代的に貴重なものだと思いますし、完璧に蘇った状態でフジ子さんの演奏するリストを聴いてみたいと思っております。
フジ子さんの今後のご活躍を楽しみにしております。
調律師 村上武士さんのホームページ（ピアノに関するお問い合わせなど）
写真撮影：HP管理人
写真の無断転載は御遠慮ください。